佐野や sa-no-ya モノ・ツチ・ヒトそしてデザイン

モノ・ツチ・ヒト そして日々

2013年6月13日

水引ってご存知ですか?

おはようございます!

 

しばらくブログが更新できませんでした。

こうして自分でブログを書いてみると実感できるんですが

毎日のようにブログを更新している方っていうのは、何気なく

僕も読ませて頂いたりすることが多いけど、身の周りへの意識や

この瞬間のこの角度でパシャ!みたいな即断即決力や最終的には

自身との折り合いをつけながら 文章で事柄を整理していく。というなんとも

地道なことを丁寧に積み重ねていく力を持続できる人なんだなぁ。。。って。

脱帽です。はい。

 

ひとつ何か行動を移すと 些細な発見があります。

やはり 『止まって考えるなっ!! 動きながら考えろっ!!』 と大工時代に

親方によく叱られていたのは 自分の糧になってるなぁ。。。とつくづく。

 

親方のところに顔出してないなぁ。。。近いうちに一升瓶持って行こ。

 

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 散歩途中で桑の実を見つけました。

懐かしいなぁ・・・ 小学生の頃下校途中によくこの実を採って食べたり、ビニール袋に

沢山入れてつぶしてジュースにしたり・・・ 

とても美味しいんですよ。ホント。

 

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 つぶすとこんな感じに。。

そして、この実から出る汁を よく体育着につけちゃって

『色が落ちなくなるっ!!』 って お袋に言われてたなぁ。 

とても綺麗な色なんですよ。ホント。

 

 

さて、本日は出張先の東京よりブログ更新です。

今回は僕が7、8年の間 どこかにずっと引っかかっていた 『水引』について。

水引という モノ を通して ヒト と出逢い、そして コト を起こすことになった話を書きたいと

思います。

 

2008年に 飯田市と飯田JAのアンテナショップをつくる。というお仕事の手伝いをさせて

いただきました。その時にお世話になった市職員の方のご好意で、飯田市を案内して頂く

機会がありまして、その時に紹介して頂いたのが 『関島水引店』の関島さん。

工場に伺いお話をいろいろと聞かせて頂きました。

関島さんは 内面の人柄の大らかさがそのまま 外面に『プチュッ』って感じで 出てきたような

とても素敵な方です。 水引のお話もとても面白おかしく して頂きました ^^

そんなおおらかな関島さんの話しに耳を傾けつつ、僕の視界の下の方には

ラメを散らばしたような。。。 カーペット???のような床が広がっているコトにも興味を

そそられていました。  実は、この 『興味』 が数年間をかけて 関島さんとのお付き合いを

させて頂くきっかけにもなったんです ^^

関島さんは とても体格の良いかたなんですが、僕らと話しをしながらも 手先では器用に

水引でストラップのようなモノをつくってくれていました。 お相撲さんが 毛糸で編み物をして

いるような。。 なんというか 朗らかな気持ちになれたのが印象に残ってる。あの時の関島さん

かわいかったぁ ^^       関島さん!表現が不適切だったらごめんなさい!!

 

image (8)

 この吊橋を渡ったところに自然の桑の実が

なっていました。 

image (1)

この橋の下で小学生の頃良く もぐったりしてたなぁ。。

そういえばこの川で僕の友達が『ドリチンこうちゃん』と命名されたっけ ^^

 

そもそも、『水引』という モノ がいまいちピンときていない方のために。

水引とは 皆さんが結婚式などでお祝いを包んでいくときに使うご祝儀袋に

結ばれている紅白の結いモノです。 そう、鶴とか亀とか。結納飾り。

自分の結婚式で頂いたこの鶴とか亀とか あまりにも綺麗で 捨てられなくて

しばらくとって置いたもんなぁ。。  その数年後に 一風堂のNY店のデザインプレゼン

する時に 水引の鶴と亀の特大ペンダントを提案したんだよなぁ。。 ホコリたまりになるから

ボツになったけど。  思えば自分の結婚式当時から水引とは縁があったんだ。。。

 

ということで、この水引。 長野県飯田市が日本の生産量上位に位置付けられているんです。

飯田市内には 『ふるさと水引工芸館』 なる建物があり、そこも見学させて頂きました。

水引によるアートは圧巻だったなぁ。関島さんのご好意で製作風景も見学させて頂きました。

今回、その『水引』について 関島さんに 『水引』の話しをメールでいただきました。

その文章を そのまま。そのまま。

お相撲さんが編み物をしながら。。。 とても微笑ましいでしょ ^^

そうだ!今度会ったときに関島さんのあのぷっくらとしたかわいい手を写真撮らせてもらおっと。

 

小林さんへ
こんばんわ。
 
飯田でもカラカラの天候で農家さんはかなり大変だと思います。
 
それでも飯田の街は水不足ってないんですよ、日本中で節水節水って大騒ぎになってても
飯田は大丈夫なんです。
 
何故って・・・・・それは水引と深い関わりがあって・・・・・ですね、
飯田近辺の山々は奥深く、森林が水を蓄えてるんです、花崗岩の台地の上に広葉樹・針葉樹が入り混じって水を湛えてるんです。
その水が湧き出てたり流れ出て、名水100選にも選ばれてる 『猿蔵の泉』であったり、水引の元になる紙を漉くのに最適な水をいっぱい供給してくれたんです。
 
良い水と天候気候風土が、真っ白な良い紙を漉くのに適してて、紙で売っても元結で売っても良しの『飯田の元結』を産み出したんです。
江戸の終わりころには全国生産の9割近くを占めるほどだったんですよ!
それでも量には限りがありますから・・・・・『もったいない・・・』なんです。
紙の原料はこうぞ・みつまたの木ですから育てて冬の寒さの中を水で晒して叩いて細かくして紙を漉くんですが、
基本的には今のリサイクルと同じでなんですが、
江戸の街にも、尾張名古屋の城下町にも、上方大坂の街にも(日本中どこにも)紙屑拾いって商売がありまして、それを持ち込むと買ってくれる店があって
今度はそれを紙に漉きなおす店(街なかに紙漉き屋が何件もありました)があって、手紙でも文書でも(お城に行って紙屑や様済みの文書を集める商売もありました)、ちょん髷を縛る元結の使った後の髪結い時に切った屑とか持ち込んで、ほぼ全部がリサイクルに回ってたんですよ!
だから・・・・・時代劇のように悪代官が火鉢で手紙を焼くなんて事はなかったんですよ、ほんとは紙はそこまで貴重だったんですよ、飯田の紙は年貢の代わりに納めてもOKだったんですよ。
 
漉き直しを繰り返すと紙が黒くなっちゃうんです(墨が混ざるために)が、そうゆうのは襖の下張に使ったり、壁を塗るのに混ぜたりしてたんですよ。
だから今回の作品は水引と遠い昔から結ばれてたんです、実は・・・・・。
参考になるかどうかは???????ですが、飯田の紙は江戸時代は飯田大帳紙と呼ばれて名古屋の街でもかなり使われたという記録もあるくらいです。
飯田元結は参勤交代でお国に帰るお侍さんが、女性たちへのお土産に喜ばれて荷物にもならないんで大量に買い込んだらしいですよ。
 
まだまだ面白い話があるんですが、またの機会に・・・。
こんなんでいいですか?
 
関島

 

関島さん!お忙しい中クイックレスポンスで素敵な文章ありがとうございます!

文章の中にある 『紙屑拾いという商売』 なんとも興味が『プチュッ』と沸いてくる

商売。 もったいない という精神は日本人に与えられた特性というか性質のような

気がします。 僕も昔から 『粗大ごみ』や 家の庭の隅っこに追いやられているような

木や鉄やイスや農耕車のタイヤなんかを発見するのが好きだったというか、自然とそういう

モノへ目がいってしまう習性があったので、この 『紙屑拾い』には共感できるし、ヒトよりも

多く拾える自信がある。根拠ないですけど。

改めて 日本人としてのDNAに意識をしていたい。と思う。 こういう話を聞くと。

 

水引を使って なにかをつくる行為というのは、まさに 『結ぶ』という行為の積み重ねです。

ぷっくらとした関島さんの手によって つくられていくモノは まさに 『結ぶ』行為を無駄なく

丁寧な作業の連続の先に繋がっていくカタチ。

春の陽射しを浴びながらコタツでもくもくと編み物をしているお袋の姿とかさなりました。

出来上がった作品そのモノの素晴らしさは言うまでもありませんが

僕にとっては この『行為』の連続作業を飽きることなく見ていることが出来る。ということの

方が魅力的であって、少しでもヒトの目に触れる機会があれば 予想外の化学変化が

起きるんじゃないかなぁ。。と勝手に。

image (3)

 関島さんにご協力頂いた水引と漆喰によるパネル

次回はこの製作過程のお話をしたいと思います

 

水引によって 今回 関島さんとのご縁が結ばれました。

そして これからも このご縁を丁寧に丁寧に積み重ねていきたいと改めて想います。

まだまだ 水引の魅力を僕なりに表現できる可能性が沢山ある。ということが

こうして『つくる』という行動によって発見できました。

いつの日か このブログでも新たな水引の一面を紹介できたらいいな。とおもいます。